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takumi の紹介

氏名:匠 英一(たくみ えいいち:Takumi Eiichi) 役職:デジタルハリウッド大学 デジタルコミュニケーション学部 教授     eマーケティング協会 専務理事     日本ビジネス心理学会 副会長     (有)認知科学研究所 所長 連絡:携帯 takuei@netlaputa.ne.jp

エンターテイメントの心理学(1)

■「エンターテイメント」の心理学:エンターテイメント性の分類 エンターテイメントの心理的要因については、次のようなものが考えられます。 A1:ドキドキ型⇒ジェットコースターに乗るスリルのような情動が伴なうもの A2:ゲラゲラ型⇒お笑いタレント番組のような情動が伴うもの A3:サラサラ型⇒スポーツ漫画のよう気分がさわやかな情動が伴うもの A4:ウルウル型⇒悲劇を観て楽しむような涙を流す情動が伴うもの これらの分類はアリストテレス以来のドラマの分類に似ている面があり、人がどんな感情を持つときにエンジョイしているといえるかを分類す・るものだといえます。 さらに、次のような能力要因からの分類も可能だといえます。 B1:身体技能型⇒スポーツのようなテクニカルな技術にこだわったもの B2:知的技能型⇒クイズを解くような知的な能力が試されるようなもの B3:感情技能型⇒とくに人生の目的といったものはなく情緒や感情的欲求を満たすもの B4:交流技能型⇒人とのコミュニケーションでおしゃべり自体を楽しむようなもの こうしたエンターテイメント要因について、さらに詳細なプロセスを追う内容の分類もあるかもしれません。 ここではそうした深入りはせずに、心理的な内容の面でどんな効果があるのかを検討してみましょう。 たとえば、具体的な道具と関連で見た場合には単純な分類では通用しないケースがいくつかあります。パチンコなどが典型的ですが、パチンコというゲーム性はA1とB2タイプの組み合わせですが、そこにアニメとして「北斗の拳」が利用された場合はA3タイプが加わることになります。その場合のエンターテイメントの情動は、3つの構成要因が絡んだものとなってきます。 エンターテイメントの心理要因は、このように複数の要因がその道具使用の在り方と関係しあっていると考えられるのです。しかも、時間的な流れの中でみたときには、その要因の中でもどれが主流となるかはプロセスごとに変わってきます。 さらにマーケティング的な視点からは、モノ所有の欲求型からサービスの経験価値型といった区分も重要になるでしょう。モノ所有の欲求が満たされていればエンジョイできた時代は自動車を持って郊外へ休日にドライブするようなことがエンターテイメントとして重視されます。誰もが同じようにモノを持つことをステイタスとみなせた昭和の時代であればそうした所有そのものがエンターテイメントであったのです。 ■「エンターテイメント」の心理学:エンターテイメント性の分析法 このように人と時代によって、エンターテイメント性の内容そのものも変わってきますが、他方でそこに共通する感情もあります。その場面ごとの予測をして、顧客サービスの質と量を調整していくエンターテイメントの“心の科学”が求められるのです。 ここでユニークな動物園のサービス革新の事例を検討してみましょう。 旭山動物園では動物の生態的な動きやライフスタイルの魅力を来場者に伝えるために、餌をただ与えるような仕方はやめて、もっとリアルな野生の動物の生き生きした姿が行動でわかるようにしました。これを生態的な「行動展示」というのですが、動物本来の姿を色んな場面で工夫をして観客にみせたのです。 これは観客側からすると、とても新鮮であると同時に動物たちの自然な生き様や動きがみられることになり、来場者数が何倍にもなったというのです。 では、この場合のエンターテイメント性の心理とは何でしょうか? 一つには、A1型のようなドキドキ型の場面があり、それはリアルな野生の動物のダイナミックな動きが描き出すものかもしれません。それはライオンなど猛獣の場合ですが、それとは違うカワイイ系の動物達はB4型の触れ合いの楽しさのようなことでしょう。 このような多様性と動きのユニークさが要因となって、動物園の楽しさを引き出したといえます。 これらの定量的な分析はその動きを現場で動画に撮るなどして、参与観察型の調査(人類学的な手法でもある)で分析していく方法も有効です。ただし、行動の変化を指標にしていく必要があり、その動物特有のアクションをパターンとして分類することが必要でしょう。

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リーダーシップの心理(5):任せる勇気編

「役割意識」と成長マインドの関係性 自分が経営管理者として向いていないと思う人は、いつまでたっても管理する仕事への動機付けができません。そのために、管理者研修を同じように受けてみても一方は自分の管理のしかたを振返りながら改善をめざそうとするのに対して、他方はまったく変化を受け入れることもなく現状肯定のままで済ましてしまいます。 その違いの心理的な要因には、ポジティブ心理が働いているというよりも現状維持の”自分はこういうものだ”という役割の固定化があります。逆に言えば、その役割意識を変えられるなら、自分らしさの変化を受け入れて新しい役に自分を近づける努力をするようになります。 当初はその役が演技的なものであるかもしれません。学卒の新人教員は学校という場において、かつて生徒という役を演じていた時から一変して教員という役を演じる必要に迫られます。知識としての教育ノウハウもそれほどないわけですが、それでも生徒との関係では先生として振るまう必要があり、その役にふさわしい行動をします。 行動をしているうちに、それがなじんで教員らしさを身につけ、その結果として教員の成長マインドを獲得していくというプロセスをみることができると考えられるのです。 そこには教育の場が持つ生徒と先生の関係性の文化、仕組みとルールがそれらの基盤ともなっています。その基盤のうえに意識としての役割が成り立ち、その役割意識があることによって、自分らしさも「アイデンティティ」につながっていくとみなせます。 成長マインドはこのようなアイデンティティの発達過程を含むダイナミックな心理なのです。だとすれば、少し背伸びした「役割意識」が何かを理解することは、とても重要な成功モードの要因だとみなせます。それは具体的には自己管理の在り方とも関連しながら、自分を高めていく土台になっていくものです。 また、こうした変化を重視する成長マインドの見方は、弁証法(※ヘーゲル哲学)の考えとも重なります。それによって自己変革がおこり、新たな学びや人間関係が生まれるからかもしれません。 弁証法というのは、肯定的否定(肯定的ネガティビティ)は否定的なものの中に次の肯定的な発展への契機が隠されている、という発展や進化の認識論です。そこには自然な発展性の流れを捉える科学の視点があり、人が変革をする勇気を与えてくれるものです。 目の前にどんな否定的な出来事があっても、そこに可能性としての発展があるとすることで、成長への手がかりが見つかるのです。現実が多様であり、予測が簡単ではないとしても、大きな流れの中では変化し適応すること、それを科学は証明してきているからです。

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リーダーシップの心理(4):任せる勇気編

ポジティブ心理学からみた「成長マインド」の考え方 成長マインドは通常のポジティブ心理学の見方ではこうした限界があるといえますが、それでも全体的な見方は幸福優位の立場が望ましいということです。その根拠は、長期的には人が他者と協力していくうえで成功や失敗を通じて怒りだけではなく、仲間への共感や勝利への確信などポジティブな感情要因が生まれてくることで、変革が維持向上されてくるからです。 そこには感情としてのポジティブ優位性は明らかなものであり、誰もがその感情の中でやる気を高め向上心を持つようになってくるからです。 そもそも向上したいという成長マインドの欲求は、誰かに認めてもらいたいという「承認欲求」と一体となっていると考えられるのです。社会的な向上心は、自己承認的な欲求でもあり、かつ他者承認的な欲求と裏腹でもあるのです。スポーツのような身体技能を競う世界ではそれがオリンピックのようなものほど、自己の成長マインドと社会から認められる承認欲求の両面性が際立ってきます。 こうした見方からすると、成長マインドには怒りという飢えの感情はなく、自分本来のポジティブなものへの欲求をベースにするものだとみえるかもしれません。 ビジネスでは営業など顧客へのサービスを軸にするものなら、承認欲求も高いし成果への達成が自己のインセンティブとして見えるものです。 それゆえ、容易に成長への動機づけができるものです。営業の仕事については人間関係を重視する満足志向は意義のあることでしょう。ですが、内勤的な仕事については顧客という存在は漠然としていますので、このような明確性がなく動機も曖昧となってきます。 そこにビジネスとしての成長マインドをどう創るかという難しさがあります。 もし自分の周りの人達をみても成長を感じ取れるようなら、あなた自身も成長への期待や希望をもてるタイプの人に違いありません。このような感覚をここでは「変革可能感」と呼んでおきます。 自分を取り巻く組織や人、そして自分自身が“変革可能”だという感覚であり、未来志向の実践を促す力といえるものです。 変革可能という実感があるためには、これまで自分が経験してきた変革への行動が何らかの形で成功していること。そして、それが現在から将来にかけて継続できている実感を持てることが必要です。そのベースがあってこそ、自己実現への行動が具体的な形になると考えられるからです。 変革という視点からリーダーシップが問われることになります。マネジメントは複雑性への対応であり、リーダーシップは変革がキーとなるものだからです。 つまり、変革はそこに未来への期待や可能性をみるのであって、そのビジョンが不可欠となりますが、マネジメントは他者を目的へと近づける調整力が要であると考えられるのです。 もちろん、こういう言い方もできます。企業のリーダーシップを考えるとき、その会社の社長の“人間力”がなかったから業績が上がらないのだと。人間性や人の“器”ができておらず、社員達の心をつかむ力やリーダーシップがなかったのだと。 このように、個人的な資質として社長の能力の無さをいうことは容易なわけですが、ビジネス心理学では変革を3つの領域に分類して、その変革プロセスに注目しています。とくに人の仕事においては人の変革を問うために、人の活動をどう変革可能なものにしていくかということが問われるのです。

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リーダーシップの心理(3):任せる勇気編

「逆転型成長マインド」と「現在型成長マインド」 相手に何事かを任せるには、自分が自律し成長している感覚が問われます。現在の自分が将来に向けても成長できるか、そして成長しているという感覚があるか、この2つのことは成長マインドを決めるものです。 そこで、前者は「希望型成長マインド」(HDM)、後者は「現在型成長マインド」(PDM)とここでは称しておきます。 HDMはビジョンとも関わる内容ですので、社会観など多面的な要因がかかわってきます。他方のPDMでは自己自身の行動レベルでの成功や失敗の経験の評価が関わってくると考えられます。小さな成功が続いていれば成長を実感することになるし、失敗続きであればそうはならないからですが、そこに自己の挑戦度がどれほどかという評価感が関係してくるので注意が必要です。 もし、挑戦度が高いことで失敗を繰り返していても、自己評価は低くならないと考えられ、場合によっては失敗自体を成長の機会ともみることになるのです。 このような否定的経験を乗り越えての肯定的な自己評価こそ「レジリエンス力」のコアになるものだといえるでしょう。私はこれを「逆転型成長マインド」と呼んでおきたいと思います。失敗を逆転させる挑戦心を持つものですが、それは根性や意思力のテーマとも関連するレジリエンス本来の内容です。 レジリエンス概念は抵抗や克服といった反転的な事象を客観的に表す概念ですが、成長マインドの概念はより主観と感情要素が入った心の状態を意味するものです。 科学的な表現としては、いずれも認知、感情、行動要素のそれぞれのバランスも考慮した心的傾向を示す指標が必要となります。成長マインドという概念をレジリエンスに導入することで、より感情要素の実感をベースに当人がそれをどう受容し習得していくか、キャリア発達の中で問題にできるのではないかということが私の問題意識にあるのです。 さらに成長マインドの概念は、キャリアをどう発達的で学習可能なものにしていくかを主体側に即して考えることがしやすくなります。レジリエンスの概念では、どうしても外部からの圧力的なものや対抗する対象が前提で受身的な形になってしまうのです。元来の意味が“抵抗”ですので、それは他者的な存在を敵とみる見方となっているからです。そこには主体としての成長するうえで不可欠な“協力”や“共感”といったポジティブな対象を主体側にすえる発想が抜けているのです。 成長マインドは自己本来の在り方をマインドフルネスの視点も取り入れながら発展させることができます。マインフルな主体側の在り方とは何かと問えば、私は次のように定義しておきたいと思います。 「成功や失敗を主体的受容(ありのままの受け入れ)しながら、未来においては善となることを信じる心の在り様のこと」 人は未来を考えずに入られませんが、どうなるかは予測ができてもそのビジョンへの確信はもてません。ですが、未来をどう評価するかは自分が選択できるものです。 つまり、未来を評価する側の自己の在り様にこそ成長マインドのコアな役割があるのです。 未来がいつまでも不安の対象でしかないのかは、当人の成長マインドに左右されるものです。成長マインドが逆転型であるなら未来は挑戦と希望の対象であり、現在型であるならば過去の経験に依存する不安なものになってくるのです。どちらを選択するかは自己自身の問題であり、自己がどういう学び方をし、そこに新たな何をみるかにかかってくるのではないでしょうか。

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リーダーシップの心理(2):任せる勇気編

成長マインドの新しい次元としての「任せる勇気」 「任せる勇気」は人の成長欲求を向上させる力となり、その「成長マインド」を切り開くものです。理由は次の3つ。 1:自己意識の低い次元から他者信頼を入れた他者の成長マインドを考慮できる 2:チームや組織のシステム全体の効果によって自己の弱みを強みにする 3:役割意識を与える効果によって他者は役割に応じた成長の機会を持つ 自己という枠を越えて相手の成長をねがう気持ちは貢献意識にもつながるもので、その結果として幸福感が継続することにもなります。また、チームなど組織的な場においては、メンバー間の役割を適切なものにするよう配慮するようになります。 つまり、任せる勇気があることが結局のところ自分と他者の間の壁を乗り越えていく機会と場を多く産み出していくわけです。あなたがもし相手がこんなことはできないと思っている限りは、相手もあなたに対して信頼をさほどおきません。信頼とは相互作用の産物でもあるからです。 そうした相互作用の事例をあげてみましょう。 私がコンサル会社で上司と仕事をしていたときのことです。上司はクライアントの問題解決をする役割を部下と役割分担していくことが重要なのですが、その上司は自分の背中をみて学ばせるという以上に「見せ場は自分がやりたがる」という特徴がありました。どういうことかといえば、クライアント先でどうやって自分を高くみせるかという、過大な「自己呈示」(※自分をよくみせようとする心理)の傾向があったのです。 たとえば、カードを使った問題解決技法で現場にある不満や問題性を洗い出し整理していく手法はKJ法といわれるものです。これは私が専門であり、その発明者であった川喜田次郎氏の会社のNO2であった方とわざわざ(株)認知科学研究所というコンサル会社まで創設しました。そのことは上司も知っていることですが、部下を活かすより、自分がKJ法を使って問題解決するような場面にこだわったのでした。 私が上司なら、そのKJ法を使う場面でこそ部下の強みを活かし、自分はそこで解決策としての案を別の視点からコメントするなどして議論を盛り上げるよう配慮するでしょう。そうすることで、目的であるはずの解決そのものが内容的にもしっかりしたものになるからです。 ここには上司と部下の関係の作り方が、いかに上司側の「任せる勇気」によって変わってくるか、その重要かが現れています。上司は部下のことをどうしても自分の手段とみてしまいがちです。実際にはその部下のほうが知見がある場合、それを上司側が認めるには勇気が必要になります。その勇気の心理には相手と比較される自分の劣等感が伴ってしまうからです。 私たちは他者と比較する自分が常にいることを知っています。その自分の姿はイメージとして有能か無能かを形造り、優越感とその裏返しとしての劣等感を持っています。少し自分が優れていると思えると勇気も出しやすくなることが予想できますが、そのレベルがどこまでかは人によってかなり差があるといえます。とくに私たち日本人には、少しの劣等感のレベルでも勇気がくじかれる人も多いのではないか。このように予想できるのです。 先の例の私の上司にしても普段は人のよい話好きの方であったわけですが、なぜか仕事の場では自分のほうが上であることを周囲に示さないと気がすまなかったのです。残念なことに自己の有能さが何かを当人は本当には理解できず、部下と自分の狭い比較だけの枠組みにとらわれてしまったといえます。 私たちのコンサル業界では、それぞれが自分の得意技を持ち、その場にふさわしい形で協働していくことが必要です。形式的なチーム制に限らず、ゆるやかなプロジェクトの場合などはとくにこの役割の認識が、そのプロジェクト全体の動きを左右してしまうからです。 リーダーシップの問題とも関連してきますが、誰がその場におけるリーダーであるのか。また、そのリーダーとフォロワーの関係はどの段階で変更させるべきかなどが「任せる勇気」に関係する課題となっているのです。

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リーダーシップの心理(1):任せる勇気編

(1)「任せる勇気」を削ぐ「失敗への不安」と「責任回避」 任せる勇気と失敗への不安はコインの裏表の関係にあります。任せた後やっぱり不安になって自分が事実上それをやってしまったり、やたらと口を挟んで当人をコントロールしようとすることなどやりがちではないでしょうか。 母親と子ども、上司と部下、先生と生徒、こうした上下関係のある社会的な活動においては失敗の責任を誰がとるかなど、「責任回避」という問題と関係してきます。上が責任をとれないなら部下に頼むことも避けなくてはならない場面もあるからです。 そうした責任を誰がどうとるかはドラッカーのマネジメント理論においても重要されていることです。ドラッカーはマネジメントにおける「責任」を、組織変革していく力とみなし、マネジメントする側がもっとも自覚すべきものとして問いかけます。 ドラッカーの論理はマネジメントが個人の能力や成長への見方を超えて、組織という単位で物事を考える視点を与えてくれます。これはマネジメント論と学習・発達論が不可分な関係としてみなす必要を問うものです。 ドラッカーのいうマネジメントは管理という以上に、組織の成長と個人の成長を対立から協働へ導く論理を持つ点に特徴があります。組織が変わるべき内容がマネジメントの役割と重なり、その役割を遂行するプロセスにおいて個々のメンバーがどう自己管理を達成し、組織に貢献していけるかを問うものだからです。

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(その9)不正の心理とは

■不正の心理(5)/犯罪を抑止する「プライムプルーフ」の仕組みとは? 左記の3つの犯罪者の分析から、犯罪を事前に防いだり、再発をさせない抑制法を検討しましょう。 この基本的な視点は、環境や仕組みの工夫による「プライムプループ」にあるといえます。 例えば、百貨店の洋服売り場で何も監視の仕組みがなく、レジも離れていれば、つい万引きをする人も多くなります。ですが、監視カメラやスタッフの適切な配置があればそのような万引きへの「誘引」がずっと減るはずです。 さらにニューヨーク市の地下鉄での暴力犯罪を激減させた例では、集中的に壁をきれいにする住民運動の取り組みがあります。 これは、バタフライ効果のように犯罪の根源であった汚い地下鉄の環境を「壁」をきれいにするということから、その相乗効果として犯罪者のたむろしていた場を転換した効果によるものでした。これは、最初から原因がわかって開始されたというより試行錯誤の中で発見した犯罪の場を変える「小さな一撃」の大きな効果だったといえるでしょう。 ■不正の心理(6)/犯罪のプロに至る「発達段階」と仲間の「準拠集団」を断て! 前述の環境の面からとは別に、犯罪の「発達段階」から防止を検討してましょう。初犯から徐々に確信的なプロセス犯罪へという流れを考えると次の段階がみられます。 ①初犯の偶発的な「誘引」による犯行 ②意図的な犯しやすい場の「選択」 ③計画的な破壊行為など伴う場の「形式」 つまり、初期は「出来心」でも、それで「成功」すると社会(親)への反発心が満たされ、自己の「有能感」を持つ。それが次に意図的な選択的犯行を促すことになり、仲間集団とも協力する形で破壊的な「形式」段階に至る。 このような犯罪の悪循環を立ち切るには、本人と同時に「準拠集団」との関係を変えることも必要になります。この集団は自己の行動を受け入れる仲間のこと。犯行を重ねるリーダがいたりすると、その行動がメンバー全体に伝播することになるため、その接点を立ち切ることが優先事項となります。

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(その8)不正の心理とは

■不正の心理(3)/犯罪数は社会的な富の発展と個人の力との差で産まれる? 世の中、「勝ち組み」というコトバが流行していますが、多少の不正は犯しても「勝ち組み」になれさえすれば─と思う人も多いようです。こういう個人の欲求とそれを実現する手段とがギャップのある状態を問題にしたのが「アノミー理論」です。 これはE・デュルケムという社会学者が提唱したもので、犯罪の動機となる原因を社会の価値との関係から説明するのです。「勝ち組み」になるという欲求は社会の価値として認められているものです。ただそれをどう実現するかという「手段」は不正を犯してもよいわけではありません。あえて「目的が正しいなら、手段は何でも」と考え実行するところに犯罪の原因があるとみるのが「アノミー理論」なのです。 この理論の心理的な意義は、犯罪者の個人的欲求を個人内に限定せず、社会成長とのギャップをみる視点です。一部の富裕層が拡大することで、犯罪への動機は高まるとみるわけですが、社会の進化とともに生まれる価値・欲望を実現する「手段」にはどうしても限界がありますが、それを心理面からサポートする仕組みも求められているといえるでしょう。 ■不正の心理(4)/犯人像のイメージを当人の記憶が創りだす危険とは? 身近なところで犯罪が起きると、その相手が今まで普通にあいさつしていたような行動でさえ「ちょっと暗い顔をしていた」など犯罪者らしいものとしてみるようになります。 そして、子ども時代に一度でも万引きなどしていれば、そういう犯罪をする性格があったものと類推するわけです。つまり、結果が原因らしきものを、都合よく集めてくれる点が「選択的確証」の特徴といえます。調査では、万引きをしたことのない子どもの方が少ないほどなのに、それを犯罪の要因として結びつけることで、確信を強めていきます。 とくに「犯罪者=特別な人」と思いたい傾向があることから、犯罪者の「ステレオタイプ」に合った特徴づけを探し、犯罪のプロファイルを追加していくことになるわけです。 これは「目撃緒言の信憑性」の問題もあり、犯人らしき人の写真を見たという“手順”が、その当人に犯人像を記憶として新しく創り出してまうのです。それは最近の認知的な研究でも実証されてきていることですが、記憶の不確かさといった程度ではなく、犯人でない写真を見た経験が、後からその見た写真を正当化するような結果になるといえます。  

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(その7)不正の心理とは

■不正の心理(1)/犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」? 不正や犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」だというと、それは違うと思うのではないでしょうか? 犯罪心理学では「非社会的な異常心理」を問題にしてきたのですが、異常かどうかは外見からはわからなくなってきたのが最近の犯罪の特徴だといえます。 19世紀頃は、犯罪者は遺伝的な原因とみなされていましたが、現在は育った環境やそこでの人間関係を含む状況といったことが重視されています。そのため、犯罪に至った状況要因を犯人の自白以上に重視しているわけです。原因不明のような事件が多いのも現状ですが、とりわけ心理学者の視点から問題となるのは、次の3点でしょう。 ①加害者と被害者、裁定者のそれぞれの相互の影響関係→「犯罪誘引の相互作用」 ②目標は正しいとされるのに実現手段がない→「アノミー理論」 ③都合のよい証拠で原因特定しようとする→「選択的確証」 後述するように、それぞれが関係しあいながら「犯罪」という結果を創り出しているといえます。そのため、犯罪に至った「動機」を犯人に聞いても、当人自身もよくわからなかったりするのです。 ■不正の心理(2)/その「当人が悪い」という見方の限界とは? 家庭内暴力(DV)やストーカー行為は、最近になるまで民事問題として刑事法の対象ではありませんでした。これらは、プライベートなものとして犯罪扱いにはなじまないとされたのです。ここには裁定者側の問題も関わってくることから、犯罪心理の範囲は、加害者←→被害者←→裁定者の相互関係を理解していく必要があります。 例えば、当初は正常な恋人関係であったカップルが、途中からストーカー事件となるケース。女性がミニスカートで無防備に夜道を歩いていたとすれば、それが「誘引」として待ち伏せのストーカーを刺激するようなことになるわけです。 つまり、ある状況においては、犯罪者にストーカー行為をしやすい要因を被害者が意識せずに創り出しているということです。もちろん、これは犯罪者を正当化するものではありません。家族療法の箇所でも述べたように、何かの心理的な原因を引き起こしたものを、その本人の個人内での「閉じたシステム」としてでなく、「相互作用のシステム」としてみる視点が、ここでも重要となってくるといえるでしょう。

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(その6) スランプの心理

■スランプの心理からわかる本番に弱い日本人の性格 なぜ日本人はプレッシャーに弱いかというと・・・ オリンピックなどでよくわかるように、日本人は肝心のところで能力を発揮できない弱さがあります。これは「注目されることに弱い」ことと関連しているようです。 自分だけが目立って表象などされると裏で妬まれのけ者にされかねないこと。これはアルバイトなど多数いるような企業ではとくに顕著なのです。そのため、誉められることにもプレッシャーとなり、逆効果となることもあるのです。こうしたら笑われるのではとか、失敗したら恥だとかいった「他者の承認」を必要以上に感じる傾向があるというわけです。これは自分に自信のないことを反面では示すものだともいえます。 意識調査などでも、他国の人と比べてとくに日本人の自己評価が低いことでもそのことが実証されています。例えば、それは欧米と中国の3カ国の中学生を調査した結果(02年河合和子)でも、「自己への積極的な評価」をしているかの質問への回答では、海外が8割以上なのに日本は4割程度というのです。とすると、「和をもって尊し」とする日本人気質が、悪い形で表に出たのが「他者の承認」に依存しがちな行動といえるでしょう。 ■スランプの心理からわかる努力する割に報われない日本人の働き方 スランプに陥るのには運良く勝ってしまった・負けるはずのない相手に負けてしまったなどすると、スランプになる可能性があります。そのタイプには、成長過程に不可欠な「調和的体制型」と、疲労等の原因で起こる「疲労的限界型」があります。 これらは気づくのが困難ですが、運良く試合に勝つケースでは、いつもとは違うやり方をして勝ったイメージが印象に残り、それが固定化してフォームが変わるなどの問題が出るわけです。 ここではやり方の変更による「スキーマ」の歪みが問題となります。これは「調和的体制型」のスランプといえるもので、技能の成長過程で新しい自分の技能レベルと身体のそれがマッチしないために一時的に生じるものです。そのミスマッチは時間が解決するので無理をしないで基本にもどることが重要でしょう。 「疲労的限界型」のスランプに陥ると、練習をすればするほど、かえって成長のマイナスとなりうるので注意が必要です。そのまま続けると練習への集中力が欠けやる気もそがれることになりますが、素振りのようなことや仲間との合宿研修などが有効でしょう。

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認知科学による動画マーケティング(11):未完成型コンテンツの魅力

■未完成型コンテンツの魅力とユーザ参画モデル(CGM) 新しいコンテンツビジネスの特徴は初音ミクに代表されるように典型モデルがあるものの、創り手側が新たにカスタマイズしながら協同製作物に仕上げていくという特徴があります。それにより、コンテンツの内容は多面的になると同時に、フリーウェアなどのように共有されて拡がりを創り出しています。 その発展を支える条件としては、誰もがコンテンツの担い手として登場できる場がプラットフォームとして確立されていることです。WIKIやSNSメディアはそのプラットフォームの役割を果たしており、そこから発信される情報やコンテンツは「未完成」というソーシャル性を持たざるをえないわけです。 ここでいうマーケティングの「ソーシャル性」とは次のような特徴を持つものです。 1)素人がプロの世界に参画することができるビジネスプロセスが開かれる 2)協働の場がプラットフォームとして存在しビジネスの基盤となっていく 3)他者のリソースを活用しながら新たなものを創作できる編集的な力が重要となる 4)個としてのパーソナルな関係性がネット上ではとくに強い影響をもたらす 5)顧客と企業の力関係が逆転し、顧客情報を活用するレベルの高さがビジネスの勝敗を決定する。 ■情報の「ストーリー性」の特徴 さらに、情報の「ストーリー性」とは次のような特徴を持つものです。 1)ストーリーは、バラバラなデータの集合ではなく、物語的な因果関係がそこにあってはじめて感動や納得をもたらす 2)ストーリーは、”語る”という表現の相互交流の場があってこそ意味が深まり口コミ効果を発揮する 3)ストーリーは、言語や文字に限られるものではなく、絵を含む記号全般に意味とイメージを与える 4)ストーリーは、表現するプロセスや語り手の存在をクローズアップし、パーソナルな関係性を要求する 5)ストーリーは、ビジネスに表現活動の場を与え、その効果がビジネスプロセス全体に及ぶようにする 3や4番目についてはキャラクターの役割が重要となってくる理由でもあります。多くのキャラクターはアニメ的な表現のものや動物などかわいい面を強調するものですが、販促・宣伝の際にはブランドイメージにプラスになるように することが求められます。 キャラクターそのものがどんな形でコミュニケーションをしたいかをユーザ(消費者)に要求しているからです。かわいいクマの顔を描いていれば親しみやフランクな関係を表すでしょう。 ところが、リアルなクマの写真のようなものであれば力強さや権威を要求するようなものとなるはずです。そこにキャラクターのイメージ戦略があり、ストーリー展開を考慮するうえでも相手の要求にミスマッチとならないようにする必要があります。    

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認知科学による動画マーケティング(10):ゲーミフィケーションによる「報酬の自由度」

■ゲーミフィケーションによる「報酬の自由度」の方法と課題点 報償を通じて人事評価や人材開発することは今やどこの企業でも重視してきています。望ましい行動をした報償としてポイントを与え、それを人事評価の指標としていく仕組みは、「ゲーミフィケーション」として検討することができます。そうすることで、より楽しく日常の仕事の中に仕組み化することができるからです。 ただし、ゲーミフィケーションもどんなに表面上ゲームの形になっていても、管理や依存症を産み出す道具になってしまう場合もあります。 たとえば、管理の道具となる問題につて、「ゲーミフィケーション」の著者としても知られる井上明人氏(国際グローバルコミュニケーション大学)は「管理される仕事」の例として次のような場合をあげています。 『「朝起きて歯を磨くと歯ブラシについたセンサーが感知して、歯磨き粉メーカーから「よくできました!10ポイント!」と褒められる。朝食にコーンフレークを食べると、ケロッグから10ポイント。通勤にバスを使うと政府からエコポイントが支給され、それは減税の対象になる。定刻にオフィスに着いたら会社からポイント。打ち合わせ先にバスに乗らずに歩いて行くと、医療保険会社からポイント…」』 これに対して、次のように「働き方を自ら構築できる組織の支援」の視点からゲーミフィケーションを提案しています。 『「朝起きて歯を磨くと歯ブラシについたセンサーが感知する。このセンサーの情報はとりあえず集積させておくことができ、歯ブラシを使ったゲームはざっと一〇〇種類からダウンロードできる。自分でゲームをつくることも、そんなに難しくはない。 会社に行くと、今度のあたらしい人事評価の仕組みでは、子育てをがんばっている人間が、結果的に損をしてしまう可能性がある修正が加えられていたので、とりあえず自分が仕切っているプロジェクトではちょっと抵抗を試みる。子供とコミュニケーションの時間をとっていることが、良い評価につながるようにゲームの仕組みを少しカスタマイズしておく。」』 前者の例は企業の管理側の視点からポイントなど報償を仕組みにしていますが、後者は現場側のスタッフが自らの仕事の改善として取り組む仕組みにしています。一見同じようなゲーミフィケーションにみえますが、実はどんな立場と価値感に基づいて仕組み化しているかがまったく異なり、その結果としての“成果”も違ってくるのです。 ■動機付けの理論からみた「コンプガチャ」による“依存症”の問題 このような依存の問題に関連して注意したいことは、「コンプガチャ」です。この意味は、Wikipediaによれば次のようになります。 「カプセルトイ(ガチャ)のようにランダムに入手できるアイテムを揃える(コンプリートする)ことで稀少アイテムを入手できるシステムのこと」 偶然性がここでキーとなるため、コンプガチャの仕組みからは自己の“有能感”を経験することができないわけです。そのため、仮にうまくコンプガチャを達成したとしても「次はさらに難しいコンプガチャに挑戦する」というチャレンジングな意識にはならないと考えられます。 報償の仕組みはゲーミフィケーションの土台でもありますが、同時に人の行動を動機づけるエンジンともいえます。同じポイントを与えるにしても、そのタイミングや重要度や影響は変わってくるのです。 認知科学的な問題として知っておきたいのは、「モチベーション3.0」を提唱したダニエル・ピンクが内発的動機を重視した点です。彼が述べる内発的動機とは次のようなことです。 最初は内発的動機として行っていた自発的な行動が、途中で金銭的な報酬などを与えられると、その内発的なものが減少し逆に外発的動機としての金銭的なものだけに依存するようになることです。 人の行動を呼び起こす動機が「外発的動機」にしかならないなら、それは行動をコントロールする側の論理でしかなく、いつか当人自身は幸せな感情を持てず、その外発的な要因に依存して行動するようになってしまうことを憂慮したわけです。 自分の行動を自分でコントロール感(自己効力感)や、社会(他者)のために自分が役に立っているという貢献感があること。そのようなポジティブな心理が、継続した幸福感を持つことができる条件であることが多くの心理調査でもわかってきています。

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認知科学による動画マーケティング(9):「セカンドライフ」の失敗

■「セカンドライフ」の失敗はなぜ? ゲーミフィケーションの6つの自由度の視点からみたとき、「展開の自由度」を持たせる点で大きな失敗をしたのが、「セカンドライフ」です。これはよく知られるように、2010年頃までは3Dデジタルコンテンツのビジネスとして注目されていましたが、今や国内ではその噂さえ聞こえてきませんが、欧米では少し異なるサービスとしてまだ進化しつづけているようです。 いずれにせよ、このでセカンドライフの失敗から学ぶべきことは、目新しい技術だけではネットサービスに限界があることです。3Dの立体空間は魅力的ではありましたが、そこには過大評価ともいうべき人の“認知力”に関わる甘い見方がありました。 3Dが魅力的なのは、その世界が自分の存在価値を高めるような手作り感があり、かつ容易に知人になれるようなソーシャルな関係がなくては始まらないことでした。 立体空間が自然に見えるのは一時的には魅力となっても、それほど長くは続かないという点です。 これは人が絵をみたり漫画やアニメを解釈する「認知プロセス」の研究などからわかっていることなのです。 たとえば、漫画をシリーズなどで読むときを考えてみてください。その漫画家の絵を最初のころに視たときの印象はかなり違和感があったはずです。ところが、そのリアリティのない感覚は漫画を何度か読むにつれて数カ月も経つ頃には、その違和感がほとんどなくなっているはずです。その漫画の一コマのシーンがあたかもリアルな世界かのような感覚を持ってくるのです。 これは絵の特徴や個性といったものに当人の認知の仕方が“適応”していくために起こる現象なのです。日本人はとくに漫画文化の中で育ってきた歴史があるため、 漫画の表現形式に慣れ、その解釈の仕方を“学習”しているのです。ある意味では漫画を読みこなすエキスパートでもあるといえるのです。 それゆえ、3Dでなくとも、十分にその表現された漫画(キャラクター)をリアルな感覚で認知できるというわけです。  

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認知科学による動画マーケティング(8)

■ゲーミフィケーションについての認知科学的アプローチ ネット戦略としてゲーミフィケーションを実践していくうえで、成功条件として次の6つの“自由度”をあげることができます。 これは私(匠英一)の独自の認知科学的なアプローチによるものですが、以下がその自由度の内容です。 1:【時間の自由度】自らの都合でいつでも開始し終わることができる 2:【空間の自由度】自らの場所がどこであろうと同じようにできる 3:【報酬の自由度】自らの選択に応じて報酬(成果)が得られる 4:【測定の自由度】自らの行動の結果や反応を測定し数値化できる 5:【相手の自由度】対戦する相手が自ら望む形で多様に連携できる 6:【展開の自由度】原型を土台にして亜流の表現展開が自由にできる 「時間の自由度」は、 「即時フィードバック」と呼ばれる反応時間に関わる問題と関係しています。これはクイズなどで回答してその正解が返ってくる時間など反応した結果の時間を 言います。入力後に1秒で回答が示されるならストレスもないわけですが、10分かかるとなるとその間の待ち時間が退屈なものと感じられるからです。 また、自分の好きな時間にゲームの結果などが、すぐにわかることがモチベーションに関係してきます。これは「測定の自由度」に関連することでもあり、何かを測る方法が簡略なものとして日常化されることが条件です。 「空間の自由度」と は、場所が選べることやその制限ルールが柔軟であることを意味します。たとえば、フォースクエアはスマホのアプリでゲーム的な形で地域の店を宝探しをする ショッピングモデルです。これは一定のリアル地域をGPS機能で場所特定しながら、加盟店舗を廻る宝探し的なゲームなのです。このリアルの空間とネット空 間が位置情報によって連携している点が重要で、GPSの利用が拡大すればさらに面白い進化をしていくことが期待されます。 「報酬の自由度」とは、金銭的な報酬だけでなく、バッジやポイントなど多様なメリット性を与える仕掛けができるということです。バッジは名誉欲やベストワンの魅力を強調するものであり、ポイントは後で金銭の代わりとしてサービスが割引されたりするメリット性があります。 ただし、パチンコの玉が後で金銭に還元されるように、それは当人にとって価値ある何かと還元されるルールが前提なければ成立しないものです。セカンドライフが一時期、爆発的な人気を得たのも「リンデンドル」という仮想貨幣が利用できるようにしたからでした。 「測定の自由度」とは、測定する道具やノウハウが多様になり安価に誰でもできるようになったことです。「ランキング・レベル」や「ポイントレベル」が、常に必要な場面で“見える化”されている状態というのが「測定の自由度」の意味です。 ネッ ト上ではログデータがアクセスした際に取れるため、いつ、どこから、どのPCが、どのように、といった詳細なプロファイル情報を得ることができます。その 結果、無料の分析ツール「グーグルアナルティクス」など利用すれば、利用者(顧客)のネット上の購買行動なども容易に知ることができ、飛躍的なマーケティ ング情報の利用が進むわけです。 「相手の自由度」は、対戦者の候補を選ぶことができる自由度のことで す。その候補がネット上の友人であっても、その友人の友人といった連鎖関係から複数の候補を選んだりできるといったことです。いわゆるソーシャルゲームが ブームになっている現象をみれば、その効果がどれほどのものかわかるというものです。 ソーシャルゲームの受けている理由は、ゲームを個人内の趣味範囲にとどめるのではなく、ゲームを通じて交流していく関係の拡がりやそこで協力したりする活動の楽しさにあります。 こ のソーシャルなゲーム性の可能性ということでは、ジェーン・マクゴニガルの著書『幸せな未来は“ゲーム”が創る』 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3 %83%9E%E3%82%AF%E3%82%B4%E3%83%8B%E3%82%AC%E3%83%AB/e/B00IJCWJIW が有名で、ゲー ム業界のみならず、マーケティング業界にも大きなインパクトを与えたものです。 「展開の自由度」とは、初音ミクが著作権をオープンにすることで、当初の素材としての歌姫的な3Dモデルから、多様なバージョンの模擬的ミクが生まれてきました。この成功の要因が「展開の自由度」のカギとなるものだといえます。 デジタルコンテンツの優位性は、まさにこの展開の自由度にあります。言い換えると著作権が切り貼りデータとして2次利用、3次利用まで拡大できることです。その結果として多様な顧客層にまで共有化が進み、またその顧客(利用者)が他の見込み客まで口コミをしてくれるような サイクルが生まれるというわけです。 音楽、映像、メディアの多様な組み合わせを異なる分野の人達の協働作業によって創り出す。そのことで立体的なコンテンツサービスが展開されたきたといえるでしょう。

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認知科学による動画マーケティング(7)

■キャラクターの作成法 キャラクターはおもしろければ良いと考えがちですが、自社サイトなどで使うのであっても、一貫したマーケーティング戦略の中で検討すべきです。 安易に外注プロダクションに投げてしまっては、本来のビジネスに即した活用とのギャップを生みだしてしまうからです。そこで、顧客戦略として、自社にとっての優良な顧客モデルを明確にすることが重要となります。そのようなメソッドとしては、「ペルソナ法」が有効です。 この“ペルソナ”の語源は“顔”という意味ですが、そこから性格や人柄などの意味が込められて、顧客イメージを明確にするマーケティング法として知られるようになったものです。 ネット活用でのキャラクターには、一般的なペルソナ法だけではなく、ネット戦略との兼ね合いも考慮する必要があります。 ネット戦略が、ソーシャルメディアを軸に据えるものであれば、「顧客コミュニティ」を支えていくような方向性が大事だからです。 そのためのポイントが以下の3つの特性です。 1:【顧客特性】どのような顧客(見込み客)に対して訴求するものか 2:【行動特性】どんな性格とライフスタイルを持つものか 3:【対話特性】どんな表現形式とどんな場面で“登場”するものか たとえば、筆者が教えている大学サイトでキャラクター作りをした例でその内容を検討してみましょう。 ■デジタルハリウッド大学のキャラクター案 デジタルハリウッド大学は、デジタルコンテンツの3D・アニメデザインなどのクリエータやWEBマスターを育成する単科大学です。当大学の杉山友之校長がトップページでも登場し、業界の著名人として大学の広告塔にもなっています。 このような大学にキャラクターがないのはむしろ不自然ですので、学生らに試作させたものが次の図です。便宜上、次のようなタイプに分類できます。 ※実際のキャラクターの図は次のサイトページ参照 → http://www.takumizemi.com/gaiyo001.html ●学長タイプ ●学生タイプ 学長は大学のシンボル的存在であることや、当大学では創業者である学長にはファン学生も多いため存在感のあるキャラクターとなっています。ただし、現存する人物をキャラクター化したときには、そのリアリティさゆえに、固定したイメージが作られており、その結果として幅広い層の視聴者に受け入れられるには無理があることです。 その点からすると、学生タイプのものは架空のキャラクターであることから柔軟な性格付けや行動スタイルの設定ができます。 基本としての顧客戦略からすると、優良顧客層の学生イメージをペルソナ化したうえで、そこに共感や親しみがわくようなキャラクター作りをすることが望ましいといえます。 中性タイプのものは、抽象化されたイメージですので役割や意味を明確にしておくことが求められます。大学のロゴ「DH」を使ったものが試作では多かったのですが、ロゴイメージとタイアップさせることで面白さの印象を際立たせるといった効果が見込まれます。たとえば、大学専用ツイッターのヘッド部分に使うのは有効です。 しかし、この種の中性的なキャラクターの難点は、ロゴを知らない人たち(見込み客)には不自然な形の図でしかないということです。ロゴありきを前提にしたキャラクター作りともいえますが、サイト情報の説明するようなナビゲータ役などでは信頼性を作りにくいものになります。 日本ハムのキャラクター「ハム係長」は中性タイプですが、そのハムの形の丸い顔が人的な要素を印象づけることで擬人化に成功しています。 ハム係長の例では、一人のある担当者がそのキャラクターを支えているわけですが、一般にはマーケティングの担当の複数のメンバーが交代でメッセージ作成をしたりするものがほんとんどです。それがユニークであるのはただキャラクターの表現レベルだけの問題ではなく、表現を会社としてどうメッセージするかという戦略性にあります。 ハム係長の場合は、その担当が出張した場合にはそれを正直にメッセージにも表現として入れるほど、内容のリアリティと正直さがあります。一般企業ではそこまでやるには社長以外難しいといえますが、視聴する側から感じるのは「自己開示」という心理効果です。 自己開示とは、自分の悪い点もさらけ出すような正直さを他者に対して表現に出すことです。それによって、受け手側も自己開示をするようになり相互の信頼性が高まるという効果ということです。 この自己開示を表現全般に行えるようにするには、メディアそのものも対話特性を持たせる必要がある。解説書のような文章やコンテンツ内容ではなく、聞き手に語りかける口語的な表現が有効であることはフェイスブックなどみても明らかです。 つまり、「語りかける」というのは、「意味の伝達」だけではなく「心の交流」であるからです。英語では「語りかける」ことを物語ると少し違う意味「Narrative」と呼んでいます。これは「ナレーション」の原義にもなりますが、より正確にいえば「目の前の特定の誰かに音声のコトバで語る」ということです。「Story」は物語の内容そのものや構成の仕方を意味しているので、この点は音声としての語り自体を意味するナラティブとは区別しておくほうがよいでしょう。 ナラティブなメッセージをネットで行うとすると、そこに「語り手」や「聞き手」の“顔”がみえるようにしたいわけです。企業であってもそこに親しみを作るには“顔”が必要となってくるため、ブランドイメージを強化する手段としてもキャラクターは不可欠となってきたといえるのです。 とくに商品がモノから形のないサービスへと発展してくると、顧客のサービス経験をどういう形で見込み客に理解してもらうようにするかが、口コミの効果を決めるものとなってきます。 それが経験である以上、それは企業側のコトバで表現しても信憑性に欠けるため、当の顧客のコトバ、しかもそれを見える化するような仕掛けが求められるようになってきているのです。 ■これからのキャラクター利用の課題 一般に大学サイトの目的は、見込み客としての入学希望者を増やすこと、また既存客である学生に満足を与えるサービスをすることなどです。 大学広報部がこうしたサイトの企画などするわけですが、実際にはあまりキャラクターの利用はされていません。 その理由としては、キャラクターが漫画的な要素だけ注目されてきたことや、企業でも特定の商品ブランドや企業ブランドのイメージアップのような漠然とした効果しか期待されていなかったためです。そこには対話的な関係での、相互のコミュニケーションは念頭においていなかったといえます。 その結果、企業ホームページでキャラクターを使うのは、企業パンフレットの代行的な役割しか与えられず、その事業内容を「情報」として提供する程度だったからです。

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