リーダーシップの心理
認知科学による動画マーケティング
ストーリー心理を動画に活用する方法
しぐさの心理分析
仕事のカイゼンを科学する
匠英一のソーシャル・メディア論
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(その9)不正の心理とは
■不正の心理(5)/犯罪を抑止する「プライムプルーフ」の仕組みとは? 左記の3つの犯罪者の分析から、犯罪を事前に防いだり、再発をさせない抑制法を検討しましょう。 この基本的な視点は、環境や仕組みの工夫による「プライムプループ」にあるといえます。 例えば、百貨店の洋服売り場で何も監視の仕組みがなく、レジも離れていれば、つい万引きをする人も多くなります。ですが、監視カメラやスタッフの適切な配置があればそのような万引きへの「誘引」がずっと減るはずです。 さらにニューヨーク市の地下鉄での暴力犯罪を激減させた例では、集中的に壁をきれいにする住民運動の取り組みがあります。 これは、バタフライ効果のように犯罪の根源であった汚い地下鉄の環境を「壁」をきれいにするということから、その相乗効果として犯罪者のたむろしていた場を転換した効果によるものでした。これは、最初から原因がわかって開始されたというより試行錯誤の中で発見した犯罪の場を変える「小さな一撃」の大きな効果だったといえるでしょう。 ■不正の心理(6)/犯罪のプロに至る「発達段階」と仲間の「準拠集団」を断て! 前述の環境の面からとは別に、犯罪の「発達段階」から防止を検討してましょう。初犯から徐々に確信的なプロセス犯罪へという流れを考えると次の段階がみられます。 ①初犯の偶発的な「誘引」による犯行 ②意図的な犯しやすい場の「選択」 ③計画的な破壊行為など伴う場の「形式」 つまり、初期は「出来心」でも、それで「成功」すると社会(親)への反発心が満たされ、自己の「有能感」を持つ。それが次に意図的な選択的犯行を促すことになり、仲間集団とも協力する形で破壊的な「形式」段階に至る。 このような犯罪の悪循環を立ち切るには、本人と同時に「準拠集団」との関係を変えることも必要になります。この集団は自己の行動を受け入れる仲間のこと。犯行を重ねるリーダがいたりすると、その行動がメンバー全体に伝播することになるため、その接点を立ち切ることが優先事項となります。
(その8)不正の心理とは
■不正の心理(3)/犯罪数は社会的な富の発展と個人の力との差で産まれる? 世の中、「勝ち組み」というコトバが流行していますが、多少の不正は犯しても「勝ち組み」になれさえすれば─と思う人も多いようです。こういう個人の欲求とそれを実現する手段とがギャップのある状態を問題にしたのが「アノミー理論」です。 これはE・デュルケムという社会学者が提唱したもので、犯罪の動機となる原因を社会の価値との関係から説明するのです。「勝ち組み」になるという欲求は社会の価値として認められているものです。ただそれをどう実現するかという「手段」は不正を犯してもよいわけではありません。あえて「目的が正しいなら、手段は何でも」と考え実行するところに犯罪の原因があるとみるのが「アノミー理論」なのです。 この理論の心理的な意義は、犯罪者の個人的欲求を個人内に限定せず、社会成長とのギャップをみる視点です。一部の富裕層が拡大することで、犯罪への動機は高まるとみるわけですが、社会の進化とともに生まれる価値・欲望を実現する「手段」にはどうしても限界がありますが、それを心理面からサポートする仕組みも求められているといえるでしょう。 ■不正の心理(4)/犯人像のイメージを当人の記憶が創りだす危険とは? 身近なところで犯罪が起きると、その相手が今まで普通にあいさつしていたような行動でさえ「ちょっと暗い顔をしていた」など犯罪者らしいものとしてみるようになります。 そして、子ども時代に一度でも万引きなどしていれば、そういう犯罪をする性格があったものと類推するわけです。つまり、結果が原因らしきものを、都合よく集めてくれる点が「選択的確証」の特徴といえます。調査では、万引きをしたことのない子どもの方が少ないほどなのに、それを犯罪の要因として結びつけることで、確信を強めていきます。 とくに「犯罪者=特別な人」と思いたい傾向があることから、犯罪者の「ステレオタイプ」に合った特徴づけを探し、犯罪のプロファイルを追加していくことになるわけです。 これは「目撃緒言の信憑性」の問題もあり、犯人らしき人の写真を見たという“手順”が、その当人に犯人像を記憶として新しく創り出してまうのです。それは最近の認知的な研究でも実証されてきていることですが、記憶の不確かさといった程度ではなく、犯人でない写真を見た経験が、後からその見た写真を正当化するような結果になるといえます。
(その7)不正の心理とは
■不正の心理(1)/犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」? 不正や犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」だというと、それは違うと思うのではないでしょうか? 犯罪心理学では「非社会的な異常心理」を問題にしてきたのですが、異常かどうかは外見からはわからなくなってきたのが最近の犯罪の特徴だといえます。 19世紀頃は、犯罪者は遺伝的な原因とみなされていましたが、現在は育った環境やそこでの人間関係を含む状況といったことが重視されています。そのため、犯罪に至った状況要因を犯人の自白以上に重視しているわけです。原因不明のような事件が多いのも現状ですが、とりわけ心理学者の視点から問題となるのは、次の3点でしょう。 ①加害者と被害者、裁定者のそれぞれの相互の影響関係→「犯罪誘引の相互作用」 ②目標は正しいとされるのに実現手段がない→「アノミー理論」 ③都合のよい証拠で原因特定しようとする→「選択的確証」 後述するように、それぞれが関係しあいながら「犯罪」という結果を創り出しているといえます。そのため、犯罪に至った「動機」を犯人に聞いても、当人自身もよくわからなかったりするのです。 ■不正の心理(2)/その「当人が悪い」という見方の限界とは? 家庭内暴力(DV)やストーカー行為は、最近になるまで民事問題として刑事法の対象ではありませんでした。これらは、プライベートなものとして犯罪扱いにはなじまないとされたのです。ここには裁定者側の問題も関わってくることから、犯罪心理の範囲は、加害者←→被害者←→裁定者の相互関係を理解していく必要があります。 例えば、当初は正常な恋人関係であったカップルが、途中からストーカー事件となるケース。女性がミニスカートで無防備に夜道を歩いていたとすれば、それが「誘引」として待ち伏せのストーカーを刺激するようなことになるわけです。 つまり、ある状況においては、犯罪者にストーカー行為をしやすい要因を被害者が意識せずに創り出しているということです。もちろん、これは犯罪者を正当化するものではありません。家族療法の箇所でも述べたように、何かの心理的な原因を引き起こしたものを、その本人の個人内での「閉じたシステム」としてでなく、「相互作用のシステム」としてみる視点が、ここでも重要となってくるといえるでしょう。
(その6) スランプの心理
■スランプの心理からわかる本番に弱い日本人の性格 なぜ日本人はプレッシャーに弱いかというと・・・ オリンピックなどでよくわかるように、日本人は肝心のところで能力を発揮できない弱さがあります。これは「注目されることに弱い」ことと関連しているようです。 自分だけが目立って表象などされると裏で妬まれのけ者にされかねないこと。これはアルバイトなど多数いるような企業ではとくに顕著なのです。そのため、誉められることにもプレッシャーとなり、逆効果となることもあるのです。こうしたら笑われるのではとか、失敗したら恥だとかいった「他者の承認」を必要以上に感じる傾向があるというわけです。これは自分に自信のないことを反面では示すものだともいえます。 意識調査などでも、他国の人と比べてとくに日本人の自己評価が低いことでもそのことが実証されています。例えば、それは欧米と中国の3カ国の中学生を調査した結果(02年河合和子)でも、「自己への積極的な評価」をしているかの質問への回答では、海外が8割以上なのに日本は4割程度というのです。とすると、「和をもって尊し」とする日本人気質が、悪い形で表に出たのが「他者の承認」に依存しがちな行動といえるでしょう。 ■スランプの心理からわかる努力する割に報われない日本人の働き方 スランプに陥るのには運良く勝ってしまった・負けるはずのない相手に負けてしまったなどすると、スランプになる可能性があります。そのタイプには、成長過程に不可欠な「調和的体制型」と、疲労等の原因で起こる「疲労的限界型」があります。 これらは気づくのが困難ですが、運良く試合に勝つケースでは、いつもとは違うやり方をして勝ったイメージが印象に残り、それが固定化してフォームが変わるなどの問題が出るわけです。 ここではやり方の変更による「スキーマ」の歪みが問題となります。これは「調和的体制型」のスランプといえるもので、技能の成長過程で新しい自分の技能レベルと身体のそれがマッチしないために一時的に生じるものです。そのミスマッチは時間が解決するので無理をしないで基本にもどることが重要でしょう。 「疲労的限界型」のスランプに陥ると、練習をすればするほど、かえって成長のマイナスとなりうるので注意が必要です。そのまま続けると練習への集中力が欠けやる気もそがれることになりますが、素振りのようなことや仲間との合宿研修などが有効でしょう。
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(その5)トヨタ式のカイゼン原理
■仕事のカイゼンにおけるトヨタ式の3つのポイント カイゼン運動で知られるトヨタでは、現場での問題について「何のため?」かを5回繰り返せといったルールで実践しています。最初の表面的な目標が、そこで不十分であることを認識させるわけです。 すると、より大きな目標(目的)が何か、その条件や土台に突き当たるわけですが、そこから表面上の目標がいかに考えていないかがわかってくるというのです。 そして、元トヨタ系の企業(デンソー)にいた佐藤政人氏は次のようなカイゼンにおける3つの目標の柱を述べています。 ・①見えるものから改善する→(組織マネジメント力) ・②多能化を進める→(自己マネジメント力) ・③後工程はお客様と考える→(顧客マネジメント力) 最初の1番の「見えるものからカイゼンする」というのは、まず実践することによる「問題見える化」をしようとするものです。小さな問題がなくなればよしとするわけではなく、より大きな問題が見えてくることに意義があるというのです。 ②の多能化はトヨタ生産方式でもよく知られるものです。異なる職務領域につかせることで能力のタコつぼ化を防ぐということ。人材の能力が追いついてなければカイゼンもできません。そのために、チームでの連携や全体工程を理解した考えができる意義があります。 そして、③は顧客志向の観点を全社レベルで実行していくことです。顧客満足度CSと社員満足度ESをつなぐ全体最適化の実践を強調するものです。 これら3つの「マネジメント力」は、相互に結びついてもいるものですが、日常業務の中でいかにして人を育てる環境にしていくか、そうした人と組織の両面的なカイゼンの課題に対応するものといえます。
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(その4)「認知的制約」とは
■「認知的制約」が意味するもの 人や物事を理解しようとすること視覚情報の処理だけで片付く問題でないところが人の認識の難しいところです。認識はただ単に、その対象そのものとして視るという認知モデルで理解するのではなく、人とモノ(媒体)と目的の3者の相互作用を理解することだ、と捉え直してみる必要があるからです。 私たちは常に何かを理解しようとするときは、自分の既存の「認知モデル」をベースにするわけですが、そこには理解する側の目的と、理解の対象となる場や状況が深く関係しています。 人に何かを「質問」することも、質問の言語表現そのものが制約となると同時に、その意図・目的に応じて調査者側が「選択的注意」を働かしてしまい、歪んだ理解をしてしまう傾向があるのです。 また、聞かれる側もその「質問」の内容を中立的に応えているのではなく、相手が誰であるか、その状況が緊迫したものかといったことで、大きく当人の想起・記憶に影響が出てしまうわけです。 こうした歪みの認知プロセスは、常に私たちの周りの状況(場)に依存したものであり、それを「状況認知」と称しています。 実践の科学として認知科学を応用する際に、考慮すべきことは、この「状況認知」であり、そこでキーとなるのが、前述した「認知的制約」ということなのです。
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(その3)能力の「評価」
■能力診断の問題点は何か たとえば、営業力ということを個人の能力の問題としてだけでみるなら、これまでの能力観でもよいのです。顧客と接する場やチームでは、「潜在的な能力」や詳細なスキルでは、当人には何をどう改善してよいかイメージがわいてきません。 そこが、認知科学的な視点の必要なところなのです。 営業の仕事力の評価は、上司によるOJTで実際に立ち合う形で行われる場合もありますが、評価されている当人からすると普段の行動ではないはずです。 上司によく見せたいという「他者の承認」(太田薫)への動機が働いてしまうからです。ここが心理的な内面や能力を外部から“評価”するときの難しさです。これは営業だけでなく能力全般についていえることです。 そこで、一歩進んで評価の発想自体を変えてみるのです。 「評価」とは、当人が自己の行動を振り返り、より最適な行動を選び、自己の成長とつなげるためにするとみなすのです。このような自己成長の視点からの「評価」こそ、メタ認知を活かした評価観だといえます。 そして、このような視点を持てば、「評価」を自己目的にしてしまいがちな人事考課や学生の成績評価の在り方も改善することになるのではないでしょうか。
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(その2)メタ認知の考え方
■仕事のカイゼンをする認識の方法とは? 仕事のカイゼンをするうえで、どのようにそのプロセスを見直したり反省したりすればよいのでしょうか? ここでは認知科学で知られる「メタ認知」の方法を紹介しておきます。これは “知識”と“活動”の二つの面に次のように区分できます。 ③ 「メタ認知的知識」=自己と他者の思考や記憶、感情の認知プロセスの知識 ④ 「メタ認知的活動」=自己の認知プロセスを上から見渡す認識の仕方やコントロール つまり、自らの知識・記憶の使い方や働きをモニターして、必要な場面で略図やメモしたりする認知プロセスをどこまで自覚するが大事な点です。認知科学者の佐伯胖先生はこのことを「略図化」と「視点の移動」の2つの概念を使い教育界などに応用してきました。 メタ認知は具体的には、略図や他者の視点を自分の中に取り入れることがポイントになります。つまり、自己の認知の枠組み(認知モデル)の限界や制約条件をいかに知るか、それを意識化することが重要だといえるでしょう。 ■仕事の役割分担の意味するもの もう少し具体的な仕事の場面でメタ認知を考えてみましょう。 企画書をプロジェクトとして協力して提案する場合なら、作成は書くこととモニターの両方を一人がします。ですが、それでは単純に個別作業になってしまうわけです。 ネットによるプロジェクトなどが増えている現在では、とくに複数の能力の違った人が強みを活かす仕事の仕方が重要となってきています。 それは役割を形式的に二人で半分に分けて書くような分担ではありません。2人のそれぞれの強みを活かすことにならないからです。それよりも、まずAさんが全体のラフ案を作成し、それを図解など得意で緻密な作業が好きなBさんがモニター(校正)しながら図を挿入していく、といった認知的な分担をすることがメタ認知を促すことにもなるのです。 こういう分担の仕方を私は「認知的コラボレーション」と呼んでいるのですが、それは各自の異なる有能性を最大化する「1+1=3」の分担方式といえます。この役割の分担方法は、状況によって入れ替わることもできます。そして、その役割の交代が固定していた自己のやり方を相手の視点(他者)から見直す機会、つまりメタ認知の活動ともなるのです。 ここで注目したいのは、自分のやっていることを別の視点から振り返る場面がある点です。別
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